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2023年03月03日
父の実家の興亡と私の思い出
妹から連絡がきた。
実家の隣にある父の実家うふや~が取り壊されるということだ。
100年イヤ120年くらいは建ってるはずだ。
小さい頃はめえの畑でオバアとオジイが野菜を作っていた。
ニンニク、まぁみ、とうなばー、イーチョーバー、ゴーヤー、にが菜、大豆など200坪の畑は野菜で埋まってた。
中部農林の裏手にある田んぼでは米を作っていた。
小さい私はそのあぜみちをうまく歩けなくて必ず田んぼにズボズボした(笑)
屋敷囲い(250坪)の中には
牛、ヤギ、馬、豚などを飼っていた。
ヒンプンのまえにニクブクを敷いて刈り取ったばかりの大豆を広げ乾かしていた。乾いたら棒で打って殻から実を落とした。
その大豆をおばちゃんぐわあ達が、い〜し(石臼)で引いてシンメェナァビで炊いてゆし豆腐を炊いてくれたものだ。ご馳走だった。それを熱いあつい、でも美味しいと言いながら頬張ったものだ。
取り分け私はおばあに可愛がられてあちこち連れまわされた。
思い出のある屋敷だった。
朽ち果てるならばともかくも直径孫の借金の型に売られてしまうなんて悲しくなった。
父はうふや〜の次男だ。
生きていたら売却されるのを防いだはずだがもう、天国の住人。今となっては黙って忍ぶしか手立てはないようだ。
実家の隣にある父の実家うふや~が取り壊されるということだ。
100年イヤ120年くらいは建ってるはずだ。
小さい頃はめえの畑でオバアとオジイが野菜を作っていた。
ニンニク、まぁみ、とうなばー、イーチョーバー、ゴーヤー、にが菜、大豆など200坪の畑は野菜で埋まってた。
中部農林の裏手にある田んぼでは米を作っていた。
小さい私はそのあぜみちをうまく歩けなくて必ず田んぼにズボズボした(笑)
屋敷囲い(250坪)の中には
牛、ヤギ、馬、豚などを飼っていた。
ヒンプンのまえにニクブクを敷いて刈り取ったばかりの大豆を広げ乾かしていた。乾いたら棒で打って殻から実を落とした。
その大豆をおばちゃんぐわあ達が、い〜し(石臼)で引いてシンメェナァビで炊いてゆし豆腐を炊いてくれたものだ。ご馳走だった。それを熱いあつい、でも美味しいと言いながら頬張ったものだ。
取り分け私はおばあに可愛がられてあちこち連れまわされた。
思い出のある屋敷だった。
朽ち果てるならばともかくも直径孫の借金の型に売られてしまうなんて悲しくなった。
父はうふや〜の次男だ。
生きていたら売却されるのを防いだはずだがもう、天国の住人。今となっては黙って忍ぶしか手立てはないようだ。
Posted by 樹々いぶき at 16:57│Comments(0)